「あがり症」の「対策」
もうかれこれ14年間悩んで苦しんで、その分ずっと考え続けていることです。
最近、「あがり症」(別の言い方をすると演奏不安)そのものよりも、演奏不安に取り憑かれた時「自分がやっていること」に着目する方が解決のヒントやその場で有用な対処策の発見に繋がる場面が多いことに気がつきました。
●演奏不安に取り憑かれた時「自分がやっていること」
つい先日、とあるイベントで演奏する機会がありそこで演奏する曲の練習をしていました。普段とは違って練習から心に緊張やストレスを強く感じます。「ああ、きたぞ」という感じ。普段ならそうした緊張感、高揚感、不安に気を取られてしまって演奏に集中することが疎かになってしまうのですが、この「ああ、きたぞ」を感じたときに自分がどんなことをしているのか、実際の動作や行動のレベルで確かめてみることにしました。
そこで気づいたことは、
「楽器を持つ手・腕の力を緩める」
「姿勢を維持する力を緩める」
といったようなことをしていること。擬音で表現すると全身をだらーんとするような「力の抜け」を感じました。
気がつくまで緩めている自覚は全くなかったですが、なぜ力を緩めているのかはすぐに思い当たりました。演奏不安に呑まれて思うように演奏できなくなった学生時代、本番でいつもの演奏ができないのは身体が緊張して思い通りに動かないせいだと考えていました。普段より力が入りすぎているから脱力が必要だと。恐らく元々自分の考えの中にもなんとなくあったし、「演奏不安と力み」その対処策としての「脱力」「リラックス」という話題もよく耳にしていました。演奏の不調がひどくなってからは音大の先生や周りからもそうした指摘をされるようになっていました。なのでごく自然な流れで、《緊張している=力が入りすぎている、だから力を抜かなきゃいけない。》という理解になっていました。ところが自分の演奏が思い通りにいくような「力の抜き方」「リラックスの仕方」はよくわからないでいました。
そこからずいぶん年月が経ちましたが当時〜今に至るまで信じて疑わなかったこの「緊張=力み、だから力を抜け」の反対とも言える「楽器を構える力、姿勢を維持する力を緩めずに吹いてみる」という説を試す時がきました。
●今まで信じていたことと反対のことをすると
「楽器を構える力、姿勢を維持する力を使ってさあ吹くぞ!」と意気込んでやってみるものの、あれ?前と変化はありません。首を傾げつつ力を抜く反対に力を入れるなんて安直すぎたかなあともう一度やってみると、今度は何が起きたかよりはっきりわかりました。「楽器を構える力、姿勢を維持する力を使って」吹こうと考えていても「演奏すること」「失敗するかもしれないという不安」に気をとられた瞬間に「力抜くぞー、だらーん」が発動していたことに気がつきました。自覚した上で修正を試みても、「演奏」に意識が向いた途端「力を抜く」モードも連動しているようでした。
●演奏と全く関連しないイメージを使って、演奏に必要なことをする
当たり前の話ですが筆者の演奏するトロンボーンという楽器には重さがあります。それを持ち上げて構えた状態で演奏するためには楽器を支え保持しておく必要があります。ところが上に書いた「脱力」モードが発動すると、このときに必要な腕や体幹の働きが消極的になってしまいます。そこで、楽器を吹く上で必要な動作を促しつつ、「演奏する行為」と全く関係のない上に人前でやっても緊張しないようなことをイメージしてみることにしました。
「5kg米袋を持ち上げる」というイメージ(実際のトロンボーンよりもあえて重たいものですが)
5kgのお米を持ち上げるつもりでトロンボーンを持ち上げると、持ち上げる力も、姿勢を保つ力も、その状態を保持する力もいい感じに働いている感覚に。それに、この「お米を持つ」イメージなら人前でやっているのを想像しても不安にならない。それなら、
「5kgの米袋を抱えたまんまトロンボーンを吹く」というイメージ
今まで楽器を持ち上げることがしんどくて一曲吹ききるのも大変だと思っていたのが、5kgないし3kg程度のお米ならしばらく抱えててもまあ平気だよなと思えることに気がつく。もしかすると楽器を構える力を積極的に使えていなかったことがバテやすさと関係していたのかもしれません。このイメージも「力を抜く」の発動を抑えて、以前よりも腕や胴体・脚の筋肉が働かせやすいため演奏も安定する結果に。
筆者の体験による話ですが、
・演奏の不安に呑まれているときに「やっていること」に目を向ける
・その「やっていること」の代わりにやってみたい、試してみたいことを促すイメージを想像する
これらは今後の自分の練習、レッスンにも有用な方法だと思いました。