『音を聴く力』を使うことが不調からの立ち直りに欠かせなかった。

 

 

 

これからお話しすることは「演奏の不調からの改善」と「音を聞くこと」の関係について自身の経験に基づいて考えたことです。

 

まず、僕自身が経験した演奏の不調というのは、技術的・奏法的というよりも精神的なところから始まったように思われます。

 

 

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◉精神的なあがりと演奏の不調

 ・僕個人が評価される状況で演奏するのが苦手だった

◉自分の音を聴く勇気

 『音大生とのレッスン』

 『雑音のその先に』

◉ただ音を並べることだけが目的になっていた大学後半〜

 『とにかくなんでも良いから音を出すことが目的となった練習』

 『綱渡りのような本番を過ごす日々』

◉音質に対して

 『音質を聴き、良い音で吹くこと。』

 『苦手な音』

◉「音を聴くこと」を促すレッスン

 『中高生や社会人とのレッスンでも』

 

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ーもともと緊張する方だったー

 

中学校で吹奏楽部に入り、トロンボーンを始めた頃、たまたま割と早い段階でよく

音が鳴っていた方だったため吹奏楽部の中でよく褒めてもらうことが多かったです。

 

そのためか、外部から指導者が来たり他校と合同練習がある時は、自校の吹奏楽部以外の人たちにも認めてもらえるだろうかという気持ちがありました。もちろん中学生ですし「天才」だったわけでもありませんから、ただちょっと吹ける方というくらいだったと思うんですが、今思えば「外の世界で通用するのか」的なことに凄く関心が強かったと思います。

 

その反面、そういう外部の指導者や他校の生徒に自分の演奏を聴かれる状況は特に緊張がしちゃって、そのハラハラドキドキが少し苦手でした。

 

 

どちらかというと吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテストの方があまり緊張することはありませんでした。そういう場では僕個人が評価されるという認識や感覚がなかったのだと思います。

 

そうしたコンクールや演奏会よりも、東京から教えにきた先生の前で吹く、とかの方が遥かに緊張しました。

 

 

こうして振り返ると、僕のこの精神的な緊張の傾向はずっと一貫していて、音高受験(失敗)、音大受験、大学のレッスン、試験やオーディションなどずっとついて回る問題でした。

 

特に音大受験や大学の試験や演奏活動では、周囲の人に認められるかどうかが、将来音楽で生計を立てられるかに直結していると考えていて、また自分の緊張の傾向なども自覚していなかったのでわけもわからず苦労していました。汗

 

 

特に印象に残っている出来事は、大学一年生のころ、奏者として憧れている先輩からカルテットに誘っていただき演奏会に出ることになったんですが、とてもプレッシャーを感じてリハーサルの時点から震えて音が出なくなってしまったことがありました。

 

本番当日はさらに緊張が高まり、音がプスプスと外れまくり音の出るタイミングも合わせられない状態で、恐らく誘ってくれた先輩の気分を害してしまったと思います。

 

 

それまでは緊張してもあまり問題視していませんでしたがこの頃から、緊張すると震えて頭が真っ白になり、音がプスリとも出なくなってしまうことを心配するようになりました。

 

 

そうして大学時代は、「頭が真っ白になり全然吹けなくなる本番」と「楽しく充実した本番」を繰り返していました。当時は自分がどのような状況で緊張するのかという分析をしていなかったので、落ち込んでは、浮かんで、落ち込んでは、浮かんでを繰り返していました。苦笑

 

 

自分の音質や音楽をしっかりアピールできている時と、そうしたこと全てをないがしろにし楽譜に書かれた音をただ出すことに注力している時を過ごし、不幸にも「頭が真っ白になりながらも無理やりただ音を並べること」を続けていく先にしか音楽家として生き残る道はないと思っていたために、大学生活の後半以降は心身も演奏もズタボロになってしまいました。

 

 

 

大学卒業後に、そんな状況を打開し再び心身ともに健やかに、音楽を自分の人生を豊かにしてくれるものとして長く続けていけるように改善の道を探り始めました。

 

そして、問題が改善されていく段階的な節目節目で、以下のことを行なっていることが多いなと感じるようになりました。

 

 

☑️自分の音を聴く。

☑️その「音質」の違いを聴き分ける。

☑️積極的に「良い音質で」奏でようとする。

 

 

 

 

 

◉自分の音を聴く勇気

 

『音大生とのレッスン』

 

自分の音を聴く、ということで印象的だったレッスンがあります。それはホルンを吹く音大生とのレッスンでした。

 

その音大生は、自信を持って堂々と吹くことができないのに悩み、小さな音しか出せないことやその他の技術的な問題を解決したいと考えていました。

 

彼女のホルンの先生が「アレクサンダーテクニーク」を勧めてくれたのをきっかけにレッスンすることになりました。

 

楽器を響かせることに対するためらいのようなものがある印象を受けたため詳しく話を聞いていくと、彼女は自分の音を「汚い」と思っていたことがわかりました。

 

実際に彼女の音を側で聞いていた僕は少し不思議に思いました。どうしてこの音を「汚い」と思うんだろう。そう尋ねると、「高校生の頃、先生から音が汚いと良く注意されていた」と話してくれました。

 

それが彼女にとって強く印象づいているのか、どうやら実際に鳴っている音を聴いて「汚い」と感じているというより、自分の音は汚いと信じ込んでいるようでした。

 

 

そこでそうした先入観を持たずに、奏でている音をそのまま聴くことに丁寧に取り組んでもらいました。

 

音を聴くといえば、簡単なことのように思われるかもしれませんが、その時の彼女にとっては勇気の要ることなのだろうと思いました。

 

それでも勇気を出して自分の音に耳を傾けてみたら、幸いにも「汚い」とは感じなかったそうです。そのあたりから楽器に息を吹き込もうとするときにみられたためらいが減り徐々に楽器の響きが増し始めました。

 

さらに積極的に「自分が聴きたい音」を奏でるように促すとまるで別人のように輝きのあるサウンドが鳴り始めました。

 

後日、ホルンの先生もその変化に気がつき、以後ホルンのレッスンがとても充実した時間になったと連絡をくれました。

 

 

 

『雑音のその先に』

 

次に、これは僕自身の経験ですが、先に書いた通り大学時代後半から不調はどんどん悪化していき(それも自分の感覚としては自滅していってしまったような感じで、不調になってしまったことを情けなくも感じていました。)、先ほどの音大生と状況は違うかもしれませんが、小さな音でしか吹けなくなっていました。

 

僕の場合、楽器を鳴らそうと息を流すと、アパチュアを保てずひどく雑音の混じった音になってしまうのです。

 

不調になる前は、特に音色にこだわっていたこともあり、雑音の混じった音が出るのは非常にショックでした。

 

ところが、小さな音でしか吹けなくなって2年ほど、練習していても上達しているとは感じられていないことに気がつき始めました。というより練習したり、学んだことを実践していく先は必ず「雑音」という現象が立ちはだかって先に進めず堂々巡りをしていた感じです。

 

進歩の感じられない日々を過ごしていたとき、楽器を響かせるために必要だと思うことをすると、雑音が混ざる。これはどうしてだろう、と考えました。

 

 

いつもは雑音がし始める感じがしたら音を小さくしていました。なので雑音が混じっている時の音をよく聴いていませんでした。

 

少々勇気が要りましたが、改めて自分の音をよく聴き観察してみると、音を出す、雑音が混じるときに感じられる感覚がある、音を小さく引っ込める、その時音に雑音が混じる、という風に実は息を吹き込もうとした時ではなく音を小さく引っ込めようとするときに雑音になっていることがわかりました。

 

次にまと同じ音を出すとき、今度は雑音が混じりかけても怯まずに息を送り続けました。すると今度は雑音が減り楽器が良く鳴る手応えがありました。雑音のその先に良い音の手応えがあるかもしれない。そう考えて練習を続けていくと雑音の心配や悩みは綺麗に無くなりました。

 

ここでも自分の音を聴く勇気を持つことが、演奏の改善に繋がったように思いました。

 

 

 

◉ただ音を並べることだけが目的になっていた大学後半〜

 

『とにかくなんでも良いから音を出すことが目的となった練習』

 

そもそもどうして演奏の不調から音が小さくなっていったかというと、小さく吹こうとしていたわけではなく、『ただ音を出すという目的』で練習を重ねていった結果なのだと思います。

 

当時は既に音をまともに出せない状況でしたが、音大生なら楽譜に書かれた音を並べることくらい当然という思いもありそんなプレッシャーを感じながら演奏していました。ところが実際の演奏はボロボロ、このままでは演奏家として続けていくのが危ういなと思っていました。

 

演奏会の機会を頂くと、せめて最低限楽譜の音を正確に並べなくてはというプレッシャーに押され、すっかり自分の音色や音楽表現のことを考える余地を失ってしまいました。

 

 

『綱渡りのような本番を過ごす日々』

 

音がまともに出せなくなってしまった状態で、その根本的な問題を解決できないまま、一つ一つの音を無理やり出すというような状況だったため、当時の演奏会は常に綱渡りのようでした。実際には何度も綱から落ちていたかもしれません。

 

そのような状況ですから当然、周りを見る余裕も、自分の音に意識を向けるスペースもありません。自分の音に無関心なまま、ただ書かれた音を並べられるようになるためだけの練習をしていました。

 

音を正確に並べようとするのには必死でしたが、自分の演奏を客観的に聴く耳は働かせていませんでした。

 

 

 

 

◉音質に対して

 

『音質を聴き、良い音で吹くこと。』

 

話が前後してしまいましたが、そうして自分がどんな音を出しているのかに構わず、無理くり音を出しているうちに、小さな音でしか吹けなくなっていて、意識して吹こうとすると雑音が混じってしまう、というところから、自分の音を良く聴き何が起きているかきちんと把握することで、堂々巡りだった不調を少し打開できました。

ところがその時点では演奏可能な音域がかなり狭くなっており、音域を拡げることを目的にホルン奏者で僕のアレクサンダーテクニークの師でもあるバジルクリッツァーさんのレッスンを継続して受けることにしました。

 

つい先月のバジルクリッツァーさんのレッスンで得たヒントは、

 

鳴っている音のクオリティをより繊細に聴き分ける。

取り組んでいる高音域も、積極的に良い音質で吹くようにする。

とすることで、高音域でも楽器が鳴っている手応えが得られました。

 

また、出にくい音域に差しかかると吹き方が変わる=音質が変わることにも気がつき、吹き方の変化は唇の振動が下唇優位だったのが上唇優位に変わるといったものでした。

例えば、チューニングのB♭からハイB♭へ音階で上がるときに、音の響きは高い音になるにつれ小さく細くなり、唇の振動は上唇優位になっていました。

 

楽器がよく鳴っているときの音質をよーくイメージして、その音質で音階を吹こうとするとハイB♭が普段よりもラクに、そして「ハマった」感触で鳴りました。

 

個人的には、こうした音質の違いにこれまで注意が向いていなかったこと、そしてその違いは繊細なようではっきりと自分に聴き分けられるものだったことに驚きました。

 

良い音質「で」吹こうとすることにより、音の鳴りも感触も、不調になる前の感覚により近いことにもなんだか腑に落ちました。恐らくもともとはそうして吹いていたんですよね。

 

 

 

 

『苦手な音』

ところで、音色に関してこだわりが強い反面、今振り返るとその好みに偏りがあったように思います。

中学の吹奏楽部でトロンボーンを始めた当時、演奏を聴いて憧れていたのは、

 

プレイステーションゲーム「アーク・ザ・ラッドの主題曲」(演奏・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)

ニューサウンズインブラス(東京佼成ウィンドオーケストラ)

ブルックナー交響曲第8番

クリスティアン・リンドベルイ(トロンボーン奏者)

などでした。

スタジオなどで録音されたいわゆるCDの音に惹かれていたため、初めて生で聴いたプロのトロンボーン奏者の演奏やオーケストラの演奏には正直「何か違うなあ…」という反応でした。CDのようなサウンドを期待していたのでしょう。

 

その後、生演奏でもたくさん感動体験をして生演奏の良さを自分なりに感じられるようになりました(^^)

 

 

でも、何が言いたいかというと、学生の頃は自分の演奏する音も含めて生音がなんとなく苦手でした。

 

響きづらいところで練習する時の音がなんか嫌で、部屋の音響的にそうなっていたかもしれないのに、「自分の音最悪やな」と感じていたりしました。

その頃は、音をただ好き嫌いだけで考えて、嫌いに振り分けた音はなるべく聴きたくないという風にしか思ってませんでした。

 

ところが自分が嫌だと思ってる音を、トロンボーンの先生たちが「良い音」だと言うことも往々にしてあり、最近になってようやくその意味がわかり始めてきたようにも思います。

 

特に、音を好きか嫌いかで判断するだけでなく、楽器がよく鳴っているかどうかという視点を持ったり、どのような状況でそういう響きになるのか想像力を働かせることは自身にも他者へのレッスンでもとても役立つと感じます。

 

 

 

 

◉「音を聴くこと」を促すレッスン

 

『中高生や社会人とのレッスンでも』

 

吹奏楽部の中高生や、楽器を始めたばかりの大学生、社会人など経験年数の少ない人にとっても同様に、『音を聴くこと』を養うのは有効だと考えます。

 

例えばリズムや音程なども、こちらから指摘するばかりより、本人に演奏をよく聴くように促したり、例えば聴こえている音色がどんな感じかや、音の大きさの変化など、こういうところを聴いてみるといいよと促す時の方が、全体的な演奏のクオリティが変わることが多いと感じます。それもけっこう劇的に。

 

 

今日もそんなレッスンがありました。

 

社会人になってトロンボーンを始められた方で、趣味は一人カラオケだという方。

 

ここまでお話ししたような、自分の音を聴くことについて話していてふと、いや待てよ。一人カラオケだったらこの「自分の音を聴く」っていうのが必要ないよなあと思いました。

 

もちろんカラオケの楽しみ方は自由ですが、一人で楽しんだり発散するなら実際の演奏がどうかよりも「自分が気持ちよく歌えているか」の方が重要ですし、カラオケって全然それでいいですよね。

 

 

ということは、トロンボーンを吹くときは、カラオケで歌うときにひょっとしたらしていないかもしれない「音の質を聴く」ための力を養っていくことがその人の望む上達を促してくれるのかもしれませんね。

 

 

非常に長くなりましたが、最初に書いた通り、これまでの楽器人生の節々でこの「音を聴くこと」の大切さを実感してきたので今の時点での僕の考えをまとめました。

 

 

なかなか上達しないで悩んでいる人、演奏の不調に悩んでいる人、自分の音が好きになれない人に読んでもらえたら嬉しいです!

 

 

 

 

 

 

 








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執筆者 森岡尚之 もりおか なおゆき
芸大でアレクサンダーテクニーク教えてます。大学の専攻はトロンボーンでした。プロフィール

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