演奏会が無くなって生まれた日頃の練習の豊かさ

 

どうも!森岡尚之です。

すっかり不定期の更新になっていますが、ブログとメールマガジンの方にも投稿していきますよ!

ブログの方は、結構長い間更新されてなかったし、何も手をつけてなかったので少しデザインを見直してます。読める記事が少なくなってしまってごめんなさい。

 

さて、コロナ禍で~、という話を特にしたいわけじゃないけど、僕も演奏の仕事や大学の授業はもろに影響を受けているし、趣味でやってる音楽の活動も年に一度の演奏会が無くなってしまったり残念なダメージを受けています。

今日はそんな状況の中で気づいた、もしかしたら僕にはそんな状況だから気づけたのかもしれないと思うことを記事にしてみようと思います!

 

実は一昨年まで、母校のOBバンドの演奏会で毎年指揮をしていました。

去年で辞めたわけじゃないけど、新型コロナウィルス感染拡大の影響で演奏会は中止に。

演奏会だけじゃなく、練習などの日頃のバンド活動もままならない状況になってしまった。

僕個人も、そんな中引越しがあり地元からちょっと離れたところに住むことになったり、新しい仕事をすることになったりして練習を再開できるようになってからも中々参加できなくなってしまっていた。

その間、結婚もしてまた引越し!

ドタバタな一年からやっとこないだ、久々に高校吹奏楽部のOBの練習に参加しました。

 

 

 

少し余談になるけど、

久々に再開する後輩や先輩たちが声をかけてくれたりするのが嬉しいし、結婚を祝って結婚行進曲のサプライズまであって、すごく感動して温かい気持ちで始まった練習。

そういえば学生の時もこういうサプライズってあったけど、例えばハッピーバースデーをサプライズで演奏してみんなでわー!おめでとうー!って一瞬盛り上がったら、サッと切り替えて「はい、練習。」みたいな感じの空気が印象に残ってる。

その時は、なんか素晴らしい雰囲気なのにすぐそれがかき消えちゃうのを残念に思っていた。サッと切り替えができること!けじめ!みたいなことの方が大切なんだっていう空気感があった。

この日の練習は、無事にサプライズが成功して、その後の温かい雰囲気が残ったまま楽しく練習できたのがとても心地よかった。

 

あと、僕自身も合奏の中で楽器を吹くのは半年以上ぶり!

その日は日頃の仕事の疲れも出てきてて、楽しみだけど疲れてもいるみたいな心境で参加したんだけど、合奏が始まってみると身体が勝手にワクワクソワソワしだして昂っているのが自分でもわかった。

身体の反応を先に感じて、ああ自分今すごく嬉しいんだなあってわかるっていう体験も久しぶりで新鮮。

 

 

 

余談がけっこう長くなっちゃったけど、ここからが今回書きたかったこと。

最近の僕の中でのひとつの関心は、

「余裕」

 

余裕にも色々あるけど、今日楽器を演奏できることを喜ぶことだったり、みんなで音を重ねることを楽しむことだったり、その音楽を自分なりに深く味わうこと。

そういうことができているときにふと、「余裕」という言葉が頭に浮かんだ。

この日のOBバンドの練習では、こうした心の余裕が僕の中にあった。

 

 

いつか先に演奏会があるわけでもない。

演奏会のために準備しているプログラムもない。

あの部分はいつも上手くいかないとか、人や楽器が足りないという焦りもない。

お客さんを呼ばなきゃっていうプレッシャーもない。

不思議だけど、こういうただ音楽に集中してそれを味わうっていうそれだけの時間を、今まではあんまり過ごせてなかったような気がする。

 

 

合奏ってだいたい多くの場合は、演奏会などの目標があって、そこに向かっていくために行われる。

そういうのが息苦しくなってきたら、ひとりで好きな曲を吹いたり、仲間とアンサンブルをして楽しんだりできるけど、やっぱり合奏になると色々気になってしまう。

 

特に自分が指揮台に立っている時の方が強くそれを感じる。

自分たちの演奏が人からどう思われるかや、演奏者たちがどう思っているか。

自分の練習の進め方もこれでいいのかな?すぐ不安になったり、僕が必死になりずきると周りが心配したり、必死じゃないと周りから怒られたり笑。

 

僕は演奏してる楽器がトロンボーンということもあり、奏者としての時はどちらかというと和やかでいられたけど、それでもクラリネットやサックスの人たちがピリピリと殺気だっているのを感じ取ったりして、合奏は常に「余裕」がなかった。そんな気がする。

 

もちろん必要な準備もあると思うから全く考えないわけじゃないと思うけど、今までは「演奏会」という目標がいつもあったから、合奏はその準備だって捉えてて、色々な心配ごとを抱えながら練習を進めるのが自分にとって当たり前になっていた。

 

 

合奏に参加してるのに、音楽のことにじっくり目を向ける時間がほんのちょっとしかなかったかも!というのが今回の気づきのひとつ。指揮をしている僕がそんな状態だとやっぱりそれはメンバーにも伝わっちゃう。

 

本番までに演奏を仕上げるというモードになっていると、奏者が奏でる音を良いか悪いかで判断したり、できているかできていないかの会話でものごとを考えがちになるけど、演奏会が無くなったことで目的を失ったんじゃなくて、また違った目的が見えてきた。

 

もうひとつ思うのは、一回の合奏をするために、たくさんの人がスケジュールを合わせて、社会人の楽団だと練習会場のこととか、指揮者のこととか、大型楽器のこととか、色々な条件をクリアして成り立っているということ。

本当に多くの人のエネルギーが動いていると思う。

演奏会があるから、そうした動きができるって思うかもしれないけど、それだけたくさんの人のエネルギーがただその場で音楽を深く味わうってことに向いたらそれはそれですごく素敵な体験をシェアできるんじゃないかって思う。

 

ここまで書いてて思ったのは、演奏会でそれをやるために練習は厳しくやるんじゃん!っていう人もいると思う。確かにそうかもしれないなあと思いつつ僕は、毎回の合奏でみんなの意識が音楽を味わうことへ向くことにワクワクする!それにこれは厳しいとかぬるいかという話でもない気がする。

 

既に毎週とか月に何回って集まって練習する文化のある楽団なら、演奏会が開催しづらい今の残念な状況の中で、本当になんのしがらみもなく音楽を楽しむ合奏が、かえってやりやすくなってるかもしれない。(もちろん、感染拡大防止の対策や不要不急の活動の自粛など誰もが楽しめる状況ではないけど、できる範囲で「できないストレス」から発想を転換できるチャンスかもしれない。)

 

 

時間に追われることのない今だからこそ、演奏だけじゃなくってコミュニケーションの時間をたっぷりとったり、練習の合間にちょっとお茶をしながらゆっくりしたり、急かされることなく一人一人が音楽やその場を味わう時間。

 

このコロナ禍での練習で、そんな合奏もできるんだっていう気づきと可能性をもらった。

演奏会ができるようになっても、この感覚は持ち続けていたいなあって強く思う。

最後まで読んでくれてありがとうございます!

 

 

森岡尚之

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